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今枝由郎様(チベット歴史文献学)コラム
2021年2月15日
昨年から続く、閉塞感のあるコロナ禍の長く、暗いトンネル、その先にようやくかすかな光が見え始めた気がします。まだまだ予断は許されませんが、本当に嬉しいことです。加えて私にとってこの上なく嬉しいのは、その光の中にケサル王の勇姿がくっきりと浮かび上がっていることです。
ケサル王とは、チベット民族にもっとも親しまれ、今に語り継がれている国民的英雄です。私がはじめて『ケサル王物語』を知ったのは、今を遡ること半世紀以上も前の1968年秋のことです。二十世紀最高のフランス人チベット研究者であるコレージュ・ド・フランス教授 R. A. スタン氏(1911-1999)が来日され、京都大学で西田龍雄教授(1928-2102)の通訳で「チベットの叙事詩『ケサル王物語』について」と題して講演されました。当時大学3年生でチベット語を習い始めたばかりであった私は、何の予備知識もないまま聴きに行きました。チベット語ではトム・ケサル王と呼び習わされている主人公が、西では古代ローマ(⇨トム)帝国の皇帝カエサル(⇨ケサル)、東では中国後漢末期の武将関羽が神格化された関帝と繋がりがあるという話は、その時空を超えたスケールの大きさに度肝を抜かれる思いでした。チベットは「世界の秘境」というイメージしか持っていなかった私は、自分が研究し始めたチベットの予想だにしなかった世界的繋がりのあまりの広さと古さに、胸がときめきました。
その時には、その1年後の1969年秋に、私自身がフランスに留学し、スタン先生の指導のもとにチベット語で『ケサル王物語』を読むことになるなどとは、まったく夢想だにしていませんでした。それ以来、私の人生はまったく思いもしなかった出来事の連続で、今に至っています。
10年に及んだ国立図書館顧問としてのブータン滞在もその一コマです。ラジオもテレビもなく、停電が日常茶飯事であった1980年代のブータンでは、日が暮れてからの闇に覆われた世界の時間は、静かに、いつ果てるともなく流れていました。そんな折、友人が幾度となく語り聞かせてくれた『ケサル王物語』を、わからないままにも楽しんだのは、今となっては懐かしい思い出です。
そして今、この作者未詳、「語り部知らず」のチベット民族の一大英雄叙事詩『ケサル王物語』が、フランス人(アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール)と日本人(冨樫瓔子)の二人の女性「語り部」を介して、1ヶ月後の3月15日に岩波文庫で登場することになったのは、私としては本当に感慨深いものがあります。今まで日本に紹介されることがなかったチベット民族の文学的才能、奇想天外さ、雄大さ、機知、ユーモア、信仰の世界を、ぜひ手にとってお楽しみくだされば幸いです。
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